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福島県立磐城高等学校 同窓会本部
〒970-8026 福島県いわき市平字高月7番
百年記念館2階 |
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【 OB会 野球部創立百周年記念誌を発刊 】 |
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平成18年10月21日(土)、いわきワシントンホテル椿山荘において、野球部創部百周年記念式典が挙行された。
式典には、来賓、野球部OB、関係者が多数出席し、記念すべき年を祝った。
鈴木幹久野球部OB会長のあいさつ、来賓の祝辞、野球部に功労のあった方々に、感謝状並びに記念品が贈呈された。
野球部創部百周年記念にあたって、OB会は記念誌「白球の軌跡」を発刊し、披露された。
今後益々野球部の発展、活躍を期するところである。
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【 野球部創部百周年記念誌の発刊にあたって 】 |
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磐高野球部 後援会 会長 塩 坂 敏 夫 |
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今回母校野球部OB会が野球部創立百周年記念誌を発刊されましたことは此の上ない喜びであり、又誇りでもあります。
日本に米国より野球が到来した明治初年より現在迄約140年、その果たしてきた役割は単に野球界のみならず、日本の近代史の一角を担うものであろうかと思います。とりわけ現在の高校野球に於ては、戦前の中等学校野球大会の名のもとにすばらしい発展をしてきたと思います。
思えば母校野球部は、今を去る100年前の明治39年に創部されて以来、大正、昭和そして平成と今日迄100年の歴史を数えるに至りました。この100年の歴史の中には、創立当時の心温まるエピソードやご苦労話、そして戦前の太平洋戦争をはさんだ多難の時代、戦後の混乱を切り抜け乍ら部活動を続けた記憶を思えば、全ては今の現役選手諸君の大きな力になっていると思います。
私は此の席上、百周年記念誌のOBの中で一番印象深い一人の大先輩について話したいと思います。その大先輩OBは、旧制中第7回卒業で母校野球部創設者の一人阿部政右衛門氏の事です。
阿部政右衛門大先輩については、本日出席の40才以上のOB諸君にとって沢山の思い出があると思います。私の前の後援会長であった阿部順吉先輩、その父上であった政右衛門氏は、戦前・戦後の磐高野球部「育ての親」そのもので立派な先輩でした。私と阿部順吉前後援会長は、野球を通して知り合いであり、自然に父親である政右衛門氏とは常日頃お会いし、お話したものでした。
阿部大先輩の磐中野球部創設当時の部員は、ルール等が余り解らず、当時の英語の先生に頼んで洋書輸入専門店丸善よりルールブックを取り寄せ、訳してもらい、指導をうけた様です。
当時、本校舎は現在の平一小敷地内にあり、グランドが無いため、ネットをかついで現在の八幡様の脇の旧グランドに通い練習したそうです。阿部大先輩が5年生の時、対外試合で仙台一高と対戦惨敗、悔しさの余り帰路途中下車、相馬高校と対戦楽勝して意気揚々得意満面で帰校したところ、無断で対外試合するとはけしからんと、当時の初代校長・植竹源太郎先生より停学1週間の処分を受けたようです。
福島県一番の石炭王であった大先輩の趣味は、磐高野球のみ児孫の為に美田を買うはずの言葉通り、夫婦共々母校野球部に絶大なるご尽力を下さいました。金婚式の祝いも取止め、お祝金全額を合宿所建設資金に廻して下さいました。
昭和20年後半現在の平市営グランド建設にあたっては、当時としては驚く程の破格の寄附第1号をつけて下さいました事を憶えております。
さて、世の中には沢山の歴史書がありますが、身近な歴史程深く強い印象を持って読まれるものはありません。記念誌本文に眼を通しますと、記録の掘り起こしの外、当時の時代背景や社会現象、事件事故を織り交ぜ乍ら我々をその時代に誘う様に語りかけ、高校野球に案内してくれております。
最後にOB会の大発展を期待すると同時に、現選手諸君の活躍を願って、お祝の言葉と致します。
(平成18年10月21日) |
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福島県立磐城高等学校 同窓会本部 |
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